要約: キプロスショックは2013年にキプロス共和国で起きた金融危機。EUの支援条件「預金者負担」が騒動の引き金となりました。事件の渦中で行われた預金封鎖を契機にビットコインへの資産移動が加速しました。国家権力の及ばないビットコインが逃避通貨に利用された初の事例です。
キプロスショック(Cyprus Financial Crisis)とは、2013年にキプロス共和国で起きた金融危機です。この金融危機をきっかけに、「避難通貨」として価格が高騰したビットコインに注目が集まるようになりました。
金融危機の発生以前、観光業以外に主要産業のなかったキプロスは、高金利・低税率のオフショア金融センターとして、ロシア等の海外から多くの資金を集めていました。オフショア金融センターとは、国内に住所を持たない人等に対して、その国の経済規模に見合わない規模の金融サービスを提供する国や地域のことを言います。
タックスヘイブンとなったキプロスは2013年当時、国内総生産(GDP)がユーロ圏全体の0.2%であるのに対して、銀行資産はその約8倍、預金残高は約4倍に達するなど、金融機関が極端に巨大化していました。
そんな状況のなかギリシャ危機が発生し、キプロスの国内銀行はギリシャ国債の不良債権化によって急激な業績悪化に見舞われました。銀行経営は立ち行かなくなり、キプロスはEUへ支援を求めました。
こうしたキプロスの国内銀行に対して、EUの提示した当初案は「すべての銀行預金に対して最大9.9%の課税をする」ことを条件に、100億ユーロの金融支援に応じるという過激な内容でした。
このような厳しい案になったのには、銀行資産の約3分の1がタックスヘイブンを利用したロシアマネーであったことや、そこにマネーロンダリングの嫌疑がかけられていた背景があります。EUのこの当初案は、キプロス議会で否決されたものの、キプロスの国内銀行で取り付け騒ぎの大混乱を引き起こしました。
最終的には大手2銀行を整理・再編、10万ユーロを超える大口の預金者に破綻処理費用の負担を強いる内容で合意し、金融破綻は回避されました。こうして、金融立国としてのキプロスの経済モデルは破綻しました。
この事件の渦中、預金口座に課税するために預金封鎖が行われました。それを契機に、主にキプロス国民とロシアの富豪によるビットコインへの資産移動が加速しました。保有資産をビットコインに換えれば、あらゆる国家からの資本規制を逃れることができたためです。国家権力の及ばないビットコインが「逃避通貨」として利用された初めての事例です。